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春山くん、ブラジルへ農業研修に出発!彼との出会い。Part1
2016年1月5日
石原果樹園の春山真高はブラジルへ
2か月間の農業研修へ旅立ちました。
彼がとてもお世話になっている日本大学の教授のコーディネートで
ブラジルのペトロリーナへ!
日本の国土の22.5倍あるブラジル!
そのブドウ&マンゴー輸出の9割以上を担っている、一大産地です!
そして日系の皆さんががんばってフロンティアを築いているらしいです。
とにかく頑張ってこい!
2015年の6月から石原果樹園の一員として
頑張ってくれてる春山君。
フルーツお兄さんとして
初めて現れてくれた僕の右腕として
お客様にも愛されて
八面六臂の活躍を見せてくれています。
僕はよく春山君の事をお客様にも聞かれます。
『新しいあの子は笑顔がいいねー』とよく仰って頂きます。
彼は岡山農業界で必ず躍進してくれます。
彼との出会い、今までの事を書かせて頂きます。
彼との出会いは2011年でした。
当時、岡山の『農業を熱く語ろう』ってイベントがありました。
お隣の瀬戸内市と日本大学&近畿大学を中心に
『夏休みに岡山で1週間農業体験をする』って企画でした。
僕がそのポスターを市役所で見つけ
『オイオイ、俺をほっといて熱く語るんかい?』ってな事で
石原果樹園も学生の受入れを数年間しました。
そして2011年9月9日、日本大学から岡山にやってきた春山君と
僕は出会いました。
最初に会った瞬間から
『ああ、この子はなんてポジティブなパワーを持った
真っすぐな子なんだ』とすぐに気づきました。
先を読んでメチャクチャ気が利くんです。
そして人との距離感の取り方が凄く上手かったんです。
初めて農業経験をするときって、積極的にしないといけませんが
『間違ってもいいから、積極的にやろう』と思える子でした。
不器用でも間違ってても積極的にやるって事が
早くその人を成長させますし
ボスから見てもそのぐらいが丁度いいんです。
研修生時代の自分を見ているようでした。
そして笑顔で頑張ってくれました。
たしか紅かおりの下にシルバーシートを敷かせたんです。
そしてその時の学生さんには
『仕事だけは他の農家さんでもできる。俺しか話せない農業の意味を教えよう』と
僕は学生を軽トラの荷台に乗せて
石原果樹園農業ツアーに連れ回してました。
そしてアメリカ農業研修についても説明しました。
『がんばればJAECで長期間海外農業研修へも行けるし
俺がアメリカの皆さんにお願いして、短期でファームステイも出来る』
その2011年に僕はアメリカを再訪して
偉大な西大寺高校の先輩吉永さんに
『いい若者がいればアメリカファームステイを
コーディネートしてやるぞ』とお言葉を頂いていました。
僕がアメリカへ挑戦したからこその繋がりで、そのお言葉がとても嬉しかったんです。
そして農業体験の打ち上げの時に、春山君は僕に近づいてきて
『イシハラさん!俺アメリカへ行きたいっす!』と心から言ってきました。
『マジか。よっし!じゃあそれまでしっかり頑張ろう!』と
海外農業に挑戦する心構えを伝え
僕もアメリカの皆さんへの連絡をスタートしました。
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出発まで『農業研修生たるもんはこうあるべきだ。こう準備しろ』と
横浜に住む春山君に体力、英語の厳しいプレッシャーを与えました。
僕がその準備期間に驚いたのは、春山君のご両親でした。
何度も何度もお礼の電話、近況を報告して下さいました。
お父様は
『私も海外に挑戦したかったです。
息子にそんなチャンスを与えて下さってありがとうございます』
お母様は
『真高はアメリカへ行くことが決まってから、見違えて本当にがんばっています。
アメリカの皆さんに繋いで下さってありがとうございます』
『いやー僕はアメリカの皆さんにメールしてるだけですから
全く気にされなくて大丈夫ですよ』と伝えても
とても丁寧に、会ったことも無い僕に
何度も何度もご連絡を頂きました。
『あー春山君のご両親は、僕たちががどう準備しているか見えるんだ。
とても感謝と愛に溢れて、人を大切にされてるんだ。
だから彼はあんな素直で真っすぐなんだ』と
ご両親とお話しさせて頂いて、よく分かりました。
そして2012年2月。
日大同学年の山田君とともにアメリカへ挑戦しました。
長くなるんで、Part2に続かせて頂きます。